烈女松江顕彰碑文

以下の和文は景浦直孝による訳

烈女松江は井口氏、家世々大洲候に仕へぬ。父瀨兵衛故有りて祿を失ひ、隣封三津浜に寓し、劍術を教へて口を餬す。二男三女あり。長尾上は某氏の傭婦と爲る。次は卽ち松江にて、才色あり。工の暇に、劍を學ぶ。里中の惡少岩藏も亦來り學ぶ。屢々松江を挑む。應せず。其の逼るに及びて、大に之を辱む。岩藏憤悶し、强ひて之を屈せしめむと欲し、父の他に適けるを窺ひ、夜黨を率ゐ戶を破つて入る。松江竊に父の刀を茵の下に匿し、徐に絲を繰る。時に母は蓐に臥し、弟妹は皆幼にて、寝に就けり。岩藏進みて説く。松江復痛罵して之を郤く。岩藏怨みて曰く、丈夫耻を忍びて、之を言ふ。汝諾せずば我れ吾が欲する所を行はむと、顧みて其の黨を呼ぶ。松江急に起つて茵の下の刀を取り、一撃して之を斃す。黨與驚き遁る。既にして隣人父を迎へて歸る。松江叩頭し謝して曰く、怒に乗じて身を忘れ、以て父母を危くす。不孝これより大なるは莫し。曲直は唯天之を知る。人を殺す者は死に當す。願くは一刀を煩はさせむと。瀨兵衛曰く、此に死せむは不可なりと。乃ち父子弟妹相率ゐて海濱に至る。母行くこと能はず。松江の手を握り、歔欷して訣別す。松江砂上に坐し、燭を秉りて曰く、暗きこと無きを得むやと。父曰く、刀若し觸れば、恐らくは事を誤らむと。乃ち小弟をして代り燭を秉らしめ、一刀首を刎ぬ。皆相向つて哭す。隣人屍を柩にして寓に歸る。實に文化癸酉十二月八日なり。年僅に十八。其の姉報を聞きて馳せ至り。柩を撫して號哭す。啓き見るに、其の髪面に被れり。二親に謂つて曰く、何ぞ其容を籹はしめざりし。檢吏將に至らむとす。羞づ可きなりと。乃ち髪を梳り、紅粉を施す。吏檢し畢る。寓舎の主人と鄕隣と共に厚く之を葬る。大洲候其の貞烈に感じ、瀨兵衛に封内に入るを許し。少子の長ずるを待ちて、舊碌に復せしむ。是に於いて國俗一變し、淫風頓に熄む。後里中の豪族小林某、爲めに碑を建てむと欲し、未だ果たさずして歿す。頃日松山婦人松操會を創め、以て名節を砥勵し、胥謀り、松江の貞烈を千歳に表彰し、以て婦女の龜鑑と爲さむと欲す。會長三輪田眞佐子狀を携え來たりて、余に文を請う。余も亦潔く感ずるものあり。因つて其の狀を次第す。銘を係けて曰く。

 貞操義烈。 死すとも節を屈せず。 凛として氷雪の如し。

 誰か皎潔を爭はむ。 堅珉に實を雕り。 千歳滅せず。